最期の桜
安達 - 2013-04-03 01:51

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敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花

 


3月8日から始まる再開発を前に、現地を一度確認した際は、ほとんどの桜が蕾の状態で、このまま撤去されてしまうものだとおもっていましたが、見る限り、ほとんどの桜が残されており、僅かな花見客と、最期の姿を撮りに来た人の姿もまばらで、しずかな佇まいを崩さず揺るぎなく、そこに咲き誇っていました。

 


桜はその枝ぶりを計算され剪定されているのですが、住宅に被りすぎないように配置されている心配りの高さに住宅設計者の意図を計ることができます。

 

 
改めて自然に包まれるように、あるいは自然を内包した住宅環境であることを思い知る景色です。

 


39号棟。このあたりは老木で、自重で折れる可能性のある桜が多いのですが、そのような弱々しさを感じさせません。

 


去年も同じ位置から撮影しました。褪せた屋根の色合いに映える桜色は、安寧と消失が抱き合わせの価値を共有するすべらかないっしゅんの想い出を想起するに余りあるざわめきをかきたてる。とすればそれは懐かしいを越えて、はるかに越えて、明滅する記憶が所有者をうしなって独立して実体するしゅんかんがそこに訪れ、しばしば光学レンズを通して14bitに整理されます。

 


34号棟。
どの建物も既に住人の姿は無く、目的もなく、意味もなく、残された形骸だけがしろい花弁につつまれて。

 


阿佐ヶ谷住宅を越えて、善福寺川緑地も訪れましたが、地面付近はお見せできない有様です。
住宅地の桜は、花見のできるような環境ではありませんが、阿佐ヶ谷住宅のように住宅それ自体が画になる区画であれば、酔客を排して本来のうつくしさを取り戻すことができます。そしてそのような絶景は、決して人に教えてはならないのです。

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