小倉沢2013 第4回~社宅・丹岫寮
中山 - 2013-07-01 23:00

ブログランキング・にほんブログ村へ

小倉沢のこういった景色を後何回眺められるだろうか、既に上のほうは解体が終了してしまっており

残っている物件についても、いつまでも残っているものではないだろう。

(写真:安達)

次に我々が辿りついたのは丹岫寮(たんゆうりょう・たんしゅうりょう)だ。

「丹」とは、硫黄と水銀の化合した赤土の事で、

「岫」は山の頂、山の洞穴という意味があり、クキと読むと洞穴、ユウと読むと岩窟の事を指すらしい、なんとなくだが洞窟のある山という意味だと思っている。

なんとなく採掘用の洞窟もあるこの小倉沢にふさわしい名前だと思う。

寮周辺は、巨大な廃墟群になっており、中を突き進みながら渡り廊下を超えると次の社宅及び寮に繋がる形で形成されている。

(写真:安達)

と、いうのも、斜面に建っている構造のため、二階部分から橋がかけてあり、建物自体は段々畑のように立っているためだ。

なんとなく、居室を見る限りでは、今は生活感が無い。使われなくなってからだいぶ立つのだろう。

ここをすぎると、かの有名なヲタク部屋に行き着けたりするのだが、巨大廃墟群の社宅周りは、見るもの全てが素晴らしい。

確かに小倉沢を経験すると、他の廃墟が色あせて見えてしまう。(他の廃墟ももちろん味があるのだが)

集会所のような広間に行くと、遊技場だったのだろうか、麻雀牌などが散乱し、床にはカラオケテープなどが転がっていた。

当時は、ここで紫煙をくゆらせながら炭鉱従事者が夜な夜な集まっては歌を唄い、牌を握り楽しんでいたのだろう。

(写真:安達)

そこを抜けて次に進んでいくと、比較的新しい社宅群にたどり着く。

建てなおすなんてめんどくさいことはやらないぜ、という日窒の確固たる意思を感じずにはいられない増設っぷりに笑みが溢れる。

それほどまでに、たくさん存在するのだ。

その下に、給食センターが存在する。

中は食堂として機能していたであろう広間と、キッチン、センター従事者の居住区があった。

内部を奥に進んでいくと、鹿があさったのだろうか、糞が散乱していた。

居住区の部屋の一角に弁当箱らしきものが箱に入ってつまれていたが、当時使っていた筈なのに、とても綺麗だった。

ステンレスは錆びない。こんなトコロでそんな実感をしてしまうのが面白いが、ステンレス製品の弁当箱は錆びる事もなく

その形を維持しており、鈍色の怪しい光を放っていた。

途中、食堂を覗きこんだ際、良い感じに白長靴が配置されており、度肝を抜かれた。

興味がある人は、写真の中を探してみてほしい。

給食センターを後にした我々は、次なる目的地を求めて、山の上のほうに目を向けてみた。

確か、ここには道伸窪事務所なる、鉄鉱石を採取するための事務所があった筈なのだ。

しかし、既に事務所はなく、圧縮機の跡地があるのみであった。(後で調べてみるとその上にあったらしい)

工場の廃墟もあるのか、と関心してしまったが、本来ここは工場であった。むしろこっちが多いほうが普通なんじゃないかと

また、小倉沢の不思議を痛感してしまった。

(写真:安達)

巨大な圧縮機が乗っていたのだろう、大きな土台後は、近くにあるアーカイブを見る限りでは昭和の初めから存在しているらしい。

止まった時計や、時代を感じさせる空き缶などを眺めながら、次なる目的地を求めて社宅付近まで戻る事にした。

ブログランキング・にほんブログ村へ
サイトマップXML自動生成ツール
The Wallpaper Journal All rights reserved.